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怒らなくなるオクスリ。

2023.04.12 00:58|naoko@kisoji
ここ2か月くらい(正確には2周期ほど)は、
自分のイライラや不安感をうまくコントロールできていた。

23番の当帰芍薬散と24番の加味逍遙散。
特に24番は頓服でも比較的早く効果が出るよと言われ、
イライラしそうな胸のざわつきを感じると、
すぐに飲むようにしていた。

それがここ1週間くらい、
私の感情は制御を失っているようなもの。

だからこそ、
子どもに声を荒げることがないように、
仕事でのイライラを社員や外部の人にぶつけないように、
なんとか我慢をしてギリギリで抑えて抑えていた。

そして我慢した分、その反動は強力すぎて、
今日、子どもたちに対して爆発してしまった。

よくあることなんだ。
ごはんいらな~い。
あれがよかった。
こうしてほしかった。
ちがう、そうじゃない。
あれほしい、これほしい。

子どもは子どもなりのペースやルールがあって、
それは大人のそれとはまったく違う軸で動いていて、
意思がはっきりしてきたからこそ、
そこからずれるのが嫌なのはよくわかる。

よくわかっているにも関わらず、
胸の奥から強力な圧力で負の感情が湧き出てきて、
それが言葉となり表情となり、爆発してしまった。
重量感のある負の感情が。

子どもたちは泣く。
泣いてる子どもたちを目の前に、
不思議なことにイライラは鎮まり、
逆に無感情となる。

泣いていてもあやせない。
表情は怖いまま。

おかぁさん、おかぁさんと
呼びかけられているにもかかわらず、
今度は逆に反応ができない。

あぁ、最悪なんだ。
泣き止んだあとの子どもたちの哀しむ顔。

彼らは何も悪くない。
ただ自分の思うままにいるだけだ。


お風呂に入ってたくさん謝った。
子どもは切り替えも早いから。
おかぁさん、だいすき。
とか言ってくれる。

たぶん私は日頃から言葉尻が強い。
それがイライラを隠しているときは、
より強くなっているのは間違いない。

謝ったくせに、
かといって制御不能なイライラが、
胸の奥深くにくすぶっていて、
ドアや棚を閉めるのが強かったり、
物に当たったり。

おかぁさん、また怒っちゃった?
怒っちゃダメだよ。
ってむしろ心配してくれる。

漢方薬は苦い。

おかぁさんそれ何のオクスリ?

怒らなくなるオクスリだよ。
怒っちゃうおかあさんはダメな子だから、
だからオクスリが苦いんだよ。

怒っちゃうとおかあさんが悲しくなるから、
苦いけど頑張ってオクスリ飲むよ。

正直恥ずかしい話だ。
イライラして悲しくなって不安感に苛まれる。
早くこの制御を失った負のスパイラルから抜け出したい。

実は夢の中なのかもしれない

2023.03.23 00:51|naoko@kisoji
ふと。
そんなこと、
あるわけないんだけど。

長男次男がいる今の生活は、
もしかしたら夢なのかもしれない。

そんな不思議な感覚に陥った。

二人とも1歳から保育園へ行ってくれていて、
8時から17時半だから、登園時間も超長い。
なのに、毎朝ぐずるわけでもなく、
ご機嫌に登園し、夕方ご機嫌に帰ってくる。

彼らはきっと、自立が早いのかもしれない。

両親ともに高齢だから、
子が早く自立できるよう、
促していきたい気持ちを持ってはいるものの、
仮に、私と同様に高校から親元を離れるのであれば、
ともに生活する時間は長男があと12年、次男があと14年か。

彼らが思うように羽ばたけばいい。
もちろん会社を継いでもらいたい気持ちはあるけれど、
それは彼らが選択することであって、私の選択ではない。

となれば、もしかしたら今は、
壮大な夢の中にいるのかもしれない。

中学を卒業すると、「じゃぁね、バイバイ!」って、
両親に似て、大した執着もなく、
ふたりとも巣立っていってしまうのかもしれない。

命を授かるという奇跡が与えてくれた、子どもとの時間。
妊娠から出産の実感を伴って今があるにも関わらず、
もしかしたら映画の世界のように、
長い長い夢の物語の中なのかもしれない。

いや、そんなはずはない。

彼らがいてくれて、私たち夫婦はとてつもなく幸せで、
毎日その幸せを噛みしめて生活をしている。

ベッドで気持ちよさそうに寝ている二人を見ていたら、
今はもしかして夢の中なのか?と、
嬉しすぎて涙があふれてきてしまった。

この不思議な感覚は記録しておこう。
彼らに出会えたのはやはり奇跡なんだ。


技術者と経営者の最終分岐はあの時だった。

2023.02.22 20:19|naoko@kisoji
酒類総合研究所の清酒上級コースの募集が開始となりました。

実は私は2011年の夏に受講が決まっていましたが、
当時父の体調が思わしくなく、またそれに伴って
その年の7月に社長になることが決まっていたので、
泣く泣くキャンセルをしたのです。

受講が決まってからのキャンセルは初めてだと、
担当の方に言われた記憶があります。

まだ社長になりながらも杜氏として結果を残したいと
躍起になっていた時でしたから、
色々迷いながらも受講を決めたにも関わらず
結果的にキャンセルをしたことに対して、
自分の選択の誤りを許せなかったし、
それ以上に技術者としての自分に憧れもあり、
「杜氏になりたい」という夢もあり、
そもそも自分自身の手でいい酒を醸したいという想いもあり、
その憧れや夢や想いに深く踏み込みたいと思ってのことだったので、
父の体調云々関係なく受講できなかったことは
悔しくて悔しくて仕方なかったのを思い出します。

講習に出ていたとしたら5月下旬から6月下旬までの1ヶ月程度、
広島に行くことになっていましたし、
結果として父はその年の7月14日に他界しましたから、
受講していたらそれはそれで後悔していた可能性もあります。

全ては今思えば…って話ですが、
振り返ると、
その時が技術者の道か経営者の道かの最終分岐だったのだと思います。

あの時受講を強行していても、
今社長である立場は変わっていないかもしれませんが、
酒造りの現場を離れる決断もつかずにずるずる中途半端になっていたか、
夫が社長になっていたか、はたまた結婚すらしていなかったか。

2011年、
とてつもなく大きく人生が動いた年だったと感じます。
あれほど考え悩み選択して、
前に前に進んだ年は後にも先にもない気がします。

小さな選択の積み重ねこそが、大きな選択につながる。
毎日毎日何かを選択して生きているのだから、
大小関わらず、自分自身の中でその選択を間違わない様に、
自らをキチンと見つめていたいと思うのです。

今の私は、あの時その時の選択の積み重ねであり結果ですからね。
全ては間違いではなく自分自身の糧になっていると言うことです。

で、私自身の適性を冷静に見ると、
技術者か経営者かと言えば、
もともと持つ考え方とか、そういったことが、
間違いなく経営者に向いていると実感します。

技術者としての自分の立場が今あったとしても、
おそらく様々なことが成立していない。

ましてや、二束のわらじなど、私には履けなかったし、
履いていなくて本当に良かった。

杜氏としても経営者としても信頼できる夫がいて、
いつもついてきてくれる信頼できる社員がいて、
自分自身の考えを、自社に対する想いを、
社員の生活を守り抜く決意を、貫くことができているのだと思います。

2011年のような「激動」の年は、
この先訪れないかもしれない。
それは、多少なりとも私が大人になっているからかもしれない。

かといって、変化を恐れず、選択を恐れず、
常に進化していきたいと思うのです。

仕事≧子ども(家族)>自分

2023.02.09 01:45|naoko@kisoji
どうしたって、私の頭の中は、
仕事≧子ども(家族)>自分

仕事が成立しなければ、
子どもも自分も成立しないから。

これが変わる時は、
社長をリタイアするとき。

それまでは変わることはないと思う。

次男出産後、
生理周期と気分の浮き沈み、
体調との相関が強くなった。

自分でコントロールできないことも増えた。

信頼していた婦人科の先生が異動になり、
しばらく彷徨っていたのだけれど、
実は以前から知っていた先生の医療に
アクセスすることができ、
自分自身のバランスを保っていけそうな、
そんな見通しがたってきた。

振り返ると、
婦人科を受診している時だけが、
真のプライベートなんだと思う。

これは、先日その先生の外来を受診して、
色々話を聞いて頂いている中で、
あ、そういうことかと気づいたことで。

変な感覚かもしれないけれど、
自分の身体のことは、
家族であっても立ち入ることができない部分で、
まさに自分ひとりだけのことだから。

優先順位が低いからこそ、
頻繁でなくても定期的に、
信頼できる先生にフォローしていただけること、
これはとても重要なことなんだ。

木曽という田舎で、
こうして信頼できる医療にアクセスできることは、
本当に幸せなことだとつくづく思う。

ちなみに、子どもに対しても、
私という人格が主体であっていいと。
母が主体となることで、
子も主体的に感情表現できるようになると。

いつでもそうでいいとは思わないけれど。

子を思うつもりで子を主体にすることで、
実は母の感情を押し付けてしまうことになると。

これは私自身が子の立場で感じていた違和感を
咀嚼するには十分すぎる言葉だったので、
とてもとても腑に落ちた。

以前学んだ、
子の感情に寄り添うこと。
彼らがどう感じているか、共感すること。
これは第一に重要なことだと思うけれど、

母の感情を主体として伝えること、
言われてみて、よくよくわかった気がした。

つい、子を主体にして伝えてしまいがちだから。
そうすることでむしろ、
母の感情を押し付けてしまうんだ。

あなたが怪我するのがかわいそうだから、気を付けてね。
怪我するあなたを見る私が悲しいから、気を付けてね。
この違い。

誰かに感謝するときは、
ありがとうって言いなさい。
ではなく、私がありがとうを言えばいい。
子はちゃんと見ているから。

そんなことまで、話して聞かせて頂いた。
寄り添っていただけている安心感は
とてつもなく大きい。

自分がそうだから、
だからこそ子どもたちにも
ちゃんと寄り添っていこう。

大人の勝手な解釈だけど、子ども時間がむしろ充実してきたよ。

2022.10.11 00:11|naoko@kisoji
記しておこうと思うことは、
子どものことばかり。

仕事のこともたくさんあるはずなんだけど、
記すに値していないということか?

10月からの予定が、慣らし保育という名目で
次男は9月下旬から保育園へ行き始めまして。

10月に入ってからはフル登園の、
長男と同じ、1日9時間半。

3歳になった長男だって、
まだまだ「おかーさん」って甘えん坊だし、
1歳になったばかりの次男は、
家と外では全く表情が違う人見知り君。

できるだけ長い時間、
親と一緒に居たいに決まってる。

長いよな、一緒にいる時間超短いよな、
保育園から帰ってきたら、
寝るまでバタバタと過ぎていくから、
ゆっくり触れ合う時間がないよな。


ところが、10月に入ってからの週末。
長男次男と一緒に過ごす時間が
とてもとても、充実している!

これまでは、平日も休日も関係なく、
常にパソコンを開いていて、
寝たぞ!ひとり遊びしてるぞ!って、
ちょっとした隙をついて仕事をしていて。

泣いたり呼ばれたりしても、仕事のキリまで
「ちょっと待って!」と仕事優先したり、
泣いているのに隣の部屋で仕事電話していたり、
深夜寝静まってから仕事してたり。

そんな生活で、
全然子どもたちと向き合えていなかった。

それが、
週末パソコンを開いていない!
メールすら返信していない!
ひとり遊び?いやいや一緒に遊ぶし!
公園いったり、お買い物行ったり。

大人の勝手な解釈ではあるけれど、
保育園に行ってくれている分、
私自身の時間配分がすっかり変わって、
メリハリをつけられるようになったんだ。

あくまで、大人の勝手な解釈なんだけど。

ありがとう、ありがとう。
子どもたちには感謝しかない。

その分、自分のやりたいことを実現できる、
時間的余裕が持てるようになったってこと。
ここから先、何も言い訳できないですよ~ワタシ。