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ひとひとひと

2007.12.21 02:03|naoko@kisoji
私が出会っている全ての人に『ありがとう』

人と人との繋がりって、本当に財産だと思います。

全ての出会いは偶然であり必然である…と思います。

東京のある小売店さんに私の造ったお酒が並びます。
松山でお世話になった上司と木祖村でお酒を飲みました。
偶然にも湯川酒造の中で過ごした若者がいます。
酒が造られ、瓶に詰められ、ラベルが貼られ、
それぞれの人の手によって一本のお酒が完成します。
そんなお酒を飲んでくださるお客様とお話ができます。

そんなみんなみんなに私が出会えたことは奇跡です。

今現在の自分の存在。

たどっていけば、あの時あの場所であのことを考えていなければ…
もしかしたら今このblogを書いていることもなかったかもしれません。

その時その考えに至ったのは、あの人との会話があったから…
ふとした会話が案外自分の人生に大きな変化を与えていたかもしれません。

あの時あの人に出会っていなかったら…。
あの時あの場所に行っていなかったら…。
あの時あの会話を交わしていなかったら…。

そう考えると、今の自分は全て必然。
これまでに出会った人々も全て必然。
出会いという奇跡は必然。

でもでも、待っていたってそんな必然は起こらない。
色々なことを自分から選択してこそ、そん必然が起こりうるんです。
そうやって繋がりあっていくことで人生って成り立つんですね。


◇◇◇まずは湯川酒造に生を受けたことが必然、そして感謝◇◇◇
◇◇◇昔は嫌だったけどね、酒屋になるなんて◇◇◇
◇◇◇必然のレールを辿る人生なんて…と勘違い◇◇◇
◇◇◇自分が選択することによってレールがひかれていくんですね◇◇◇
◇◇◇(((((人気blogランキング)))))参加中です!!! ◇◇◇

ソースカツ丼

2007.12.16 17:41|naoko@kisoji



ここのところ、たくさん書きたいことはあるにも関わらず、
何だかPCに向き合うと言葉が出てこないというか、
杜氏や実習生たちとお酒を飲みすぎてるってのもあるとは思うのですが、
それとは違って、何だか気持ち的に落ち着いていなかったんですね

と、言うわけで…。

今日は実習生と住み込みで来てくれているアルバイトの人と一緒に、
駒ヶ根までソースカツ丼を食べに行ってきました~(^^♪

昨日は一日雪が降ったお陰で、天気のいい今日は絶好の景色。
木曽駒ケ岳も伊那谷から眺めると、いつもと違った風貌で新鮮です。

この『明治亭』と言うソースカツ丼屋さんは、
結構名の知れたお店らしく、お昼時に行ったので何組か並んでいました。

その前に入ろうと思ったお店も、かなりの人数が並んでいましたね~。
なかなかのB級グルメ♪♪お腹もいっぱい、大満足でした☆彡

その後は、木曽谷に戻って、寝覚めの床へ。



以前にも写真載せたことがありましたね~。
(これは9月頃の景色です。)
さすがに、気温が2-3度しかなかったので寒かったですが、
何度行ってもここの景色は好きですね!(^^)!

夕方家に帰って、みんなと一緒に醪を見に蔵へ。
今日も一日何事もなく、醪はしっかりと育っていました...ふぅ。

何だか、いい気分転換になったかな~。
さてと、これでまた来週から頑張れそうです!!!


◇◇◇晴れの日のドライブはやっぱり気持ちがいいものです◇◇◇
◇◇◇(((((人気blogランキング)))))参加中です!!! ◇◇◇
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実習生、参上!!!

2007.12.12 22:09|naoko@kisoji
毎年この時期、我が母校の東京農大醸造科学科の3年生が、
カリキュラムのひとつである酒蔵実習にやってきます。

と言うわけで、
うちの蔵も10日~21日の日程で実習生が二人来てくれています。

杜氏や蔵人さんたちと同じ建物での共同生活です。
毎晩毎晩、杜氏たちとの晩酌は賑やかになりそうですね~♪

というより、賑やかなんです。
ここぞとばかりに、私も晩酌に参加するのでね。
ま、それも思い出ということで帰っていただければ幸いですね。

私が大学を卒業して間もなくの頃から実習生は毎年来ているのですが、
私が蔵に入ってからは3年目になります。

まだまだ仕事を教えるような立場ではありませんが、
一個一個の作業に一喜一憂しながら取り組んでくれているのは嬉しいものです。

ちなみに、私は京都の向井酒造さんにお世話になりました(^^♪

何かひとつでも、この実習が今後の人生の役に立ってくれればいいなって、
そんな気持ちでいっぱいですね。


◇◇◇年々実習生との年齢差は開いていくようで…(・_・;)◇◇◇
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酒造り唄♪

2007.12.09 20:40|naoko@kisoji
昔の酒蔵ではよく、酒造り唄を歌っていた…なんて話聞いたことがあるかと思いますが、
では何故酒造り唄が歌われていたのか、ご存知でしょうか???

醪のタンク(桶)に櫂を入れる時に歌っていたり、
酒母を立てる際の『酛摺り(もとすり)』の際に歌っていたり、
運んだ水を数えるのに歌っていたり(数え唄)…と、
昔の酒蔵ではいつでも歌声が響いていたのでしょう。

では、何故唄を歌っていたかと言うと…。

そう、時計がなかった時代に、時間を計る役目を果たしていたのです。

何節目まで歌うか、歌う速さをどうするか…といった感じで、
作業の時間を決めていたそうです。

たまに杜氏が歌ってくれますが、まったく必要のない今では、
その唄を覚えることすら難しいです。

その歌詞やフレーズは、杜氏の流派によっても少しずつ異なるのですが、
昔の酒蔵は『女人禁制』
ってことは、必然的に女の子には聞かせにくい替え歌もたくさんあったようです(^_^;)

ま、そうやって単調で長い蔵の仕事を面白おかしくこなしていたのでしょう。

でも本当に合理的だな~って思うのは、『数え歌』です。

これは覚えれたらいいのにな~って感じるのですが、
例えば200Lの水を運びたかったら、試(ため)(20L)を10回運びます。
頭で数えながら運ぶのですが、ふと違うこととか考えちゃうと、
さっきまで数えていた数字が一気に吹っ飛んでわからなくなっちゃうんですね。

そんな時、それぞれの数字に準えた短いフレーズを一回一回歌うのです。
そうすれば、他の事を考えていても、どこまで歌ったかは比較的容易に思い出せるのですね。

でも杜氏に聞くと、
『う~ん○番の唄は女の子には聞かせられんなぁ』なんて、ニヤニヤしています。

女人禁制だった理由は、酒造りの神様『松尾様』が女性の神様だから。
蔵に女性が入ると、松尾様がやきもちをやいてしまうから。

でも、本当の理由はきっと…
昔の出稼ぎで住み込みの蔵人たちにとって、一人でも女性がいることで、
その風紀が乱れ、和が乱れてしまう、てなところではないでしょうか。

女性が造りに参加していれば、
女の子に聞かせにくいような替え歌で楽しく…なんてこともできなかったのでしょうね。


◇◇◇当時、音痴な人は重要ポジションにはつけなかったとか!?◇◇◇
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お決まりのネタですが…。

2007.12.06 16:51|naoko@kisoji
『ネタ』なんて表現は失礼極まりないと思いつつ…。

それでも酒蔵での毎年恒例作業のひとつが、
今年も無事、5日(大安)に終了しました。

その作業とは・・・・・・・。


そう、『杉玉』を新しく架け替えることなのです。

うちの蔵では毎年杜氏が杉の葉っぱをたくさん取ってきてくれるので、
新酒ができた12月のこの時期に、蔵で杉玉を作ります。



もうご存知の方も多いと思いますが、
青々とした杉玉(酒林)が酒蔵の軒先に吊るされることは、
『今年も新酒が出来ました。』という近所の人々へのお知らせだったのです。

その杉の葉が枯れて茶色く変化した頃には、
ちょうど新酒のフレッシュな味わいがこなれ、
『新酒も熟成されてそろそろ飲み頃ですよ!!!』なんてお知らせに変わります。

これがまた作るのが結構大変で、杉の量もかなり必要です。
綺麗な丸に刈り込んだと思っていても、
どっかしらが窪んでいたり飛び出していたり…(・_・;)

去年の杉玉は、日を追うごとに【やんちゃくれの坊主頭】みたいに、
ぼさぼさになってしまいました(^^ゞ

まぁ、それも湯川酒造のシンボルと言うことで…。
でも写真とか撮られると結構恥ずかしかったかも…です。

今年の出来はなかなかのものなので、
写真を撮るなら、綺麗な玉を維持しているうちにお願いします(^_^;)


◇◇◇風邪が流行っています。皆さん気をつけてくださいね。◇◇◇
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至福の時

2007.12.03 22:09|naoko@kisoji
…それは、日曜日。

なぜ???

週に一度だけ、私が醪の面倒を見させてもらえる日だからです。

うちの蔵では日曜日は休日。
仕込みも蔵の仕事もお休みになり、
住み込みで来ている蔵人さんたちは皆自宅へ帰ります。

…と、言うわけで。

ずっと家にいる私に、『醪に櫂を入れて温度を見る。』と言う
大役が回ってくるわけです。

作業としては極々単純で、
『醪に櫂を入れて温度を見る。』(朝と夕方)
そして、必要があれば普段管理をしているお頭に電話連絡する。
ホントそれだけなんですが。

でも、だ~れもいない仕込蔵で、
唯一醪たちと自分だけになれる時間なんですよね。

いつまで醪を眺めていても何も言われないし。
温度を測るだけでも私にとってはすっごく勉強になるし。
このあとどうするのかな~って色々自分なりに考えてから、
お頭に電話をしてみて、『あ~なるほどな~~~』って納得したり。

醪って、どれだけの時間眺めていてもちっとも飽きないんですよね(^^ゞ

と言うわけで、私の至福の時のご紹介でした♪


◇◇◇楽しい時間って色々ですね♪◇◇◇
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昔ってどうしてたんだ???

2007.12.01 23:11|naoko@kisoji


仕込みや貯蔵のタンクには通常、
写真のように『呑(のみ)』と言われる口がふたつ開いています。
要するに、タンクから醪やお酒を払い出す時の口なのですが、
呑を塞ぐ栓は現在ネジ式の二重構造になっているのです。

呑を切る(開ける)時は、写真の本器を取り付け、
レバーを回し呑の中央にある栓を抜くことでお酒を出すことが出来るのです。



ところで、今でこそ二重構造の呑と本器あるから、
タンクからお酒を払い出すのはとっても簡単な事なのですが…。

では、木桶だった昔は『呑切り』をどのように行ってたのでしょう。

今では当たり前に簡単に出来てしまっている事過ぎて、
疑問にも感じていなかったことなのですが、ふと杜氏に聞いてみたのです。

昔は、当然桶も呑も木でできていたので、
ただタンクに空いた穴に木の栓をしていた様な状態だったそうです。
お酒が入っていれば、当然その呑を抜いた途端にお酒がこぼれてしまいますよね。
ではどうやってお酒を払い出していたのか…。

ここがまた、酒造りの隠れた技術のひとつ!!!

ただの木の栓と、真ん中に穴の開いた木の栓を瞬時に付け替えるのだそうです。
タンクに入っているお酒は多ければ5,000リッターにもなったので、
当然呑口にかかる圧力も大きいですよね。
栓を抜いた途端にお酒がこぼれてしまうと思うのですが、
そこが技術で、要は穴の開いていない栓を抜いて、
その直後に穴の開いた栓を差し込む…というごく単純な作業。
穴の開いた栓と交換する瞬間に少しだけお酒が霧状に飛び散る程度で、
ほとんどこぼれることなく栓を交換したのだそうです。

う~ん、なかなか説明が難しくて伝わっていないかもなのですが…。
とにかく、何を言いたいかというのは、
『今でこそ当たり前のことも、昔は素晴らしき技術であった』と言うことですね。

現在うちの蔵では木桶も使っていませんし、
そんな原始的な栓も使っている蔵はほとんどないと思います。

と言うことは、必然的に栓を付け替える技術もなくなってしまった…と言うことで。
必要のなくなってしまった技術とは言え、残念なことに感じます。

酒を移動するのもホースとポンプの役目ですが、
昔は20Lの試(ため)に入れて肩に担いで運んでいたのです。

蒸米だってエアーシューターで飛ばすことが出来ますが、
昔はボテで担いで運んでいたのですね。

現在でも吟醸の仕込みや移動は昔と同じ様に行っていますが、
やっぱりかなり大変な作業です。

しかも、試だってボテだって、担ぐコツをつかまないと何倍もつらい作業なのです。

当たり前のことに溺れすぎて、
昔はどうしていたのかも知らずに作業をするのは、
本来のその作業や行動の意味が解らずに終わってしまうのかも知れません。

どんなことに対しても、
『何でだろう。』『昔はどうだったんだろう。』を感じながら取り組みたいですね。



◇◇◇試を担ぐのは、まず水で練習です(^^ゞ◇◇◇
◇◇◇お酒こぼしたら怒られちゃうよぉ…◇◇◇
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