もう明日のことですが(^_^;)
大森吟吟様発案の
【天晴れ日本酒!大森弾丸チャリティツアー】
私は26日(火)に参加します!!!
皆さまにお会いできるのを楽しみにしております♪
久々の東京営業。
新規にお取引を頂いた酒販店さんや、
既存のお取引の酒販店さん数軒へ。
改めて、「売る」プロの方々とお話しすると、
「造る」プロとしてぶれない想いが
一番の営業要素なのではないかと、感じます。
もちろん、自分の中では絶対にぶれない、
酒造りに対する基本軸があるんですが、
好奇心やチャレンジしたい気持ちが優って
色んなことをやって見たくなるのも事実。
十五代九郎右衛門でも木曽路でも、
お客様がどのタイプのお酒を飲んでも、
「あ!湯川の味!!」
って感じて頂けるのが大切なのかも。
何種類かの味わいのタイプを
造りわけしていくのだから、
ひとつひとつは当然違うのだけど、
でもやっぱり「湯川の想い」そのものを
味わって頂ける様な、一本筋。
うまく言葉にはできないけれど、
酒造りに携わり始めてから6年間、
基本的に感じていることや考えは
変わってはいないんです。
ただ、それの表現の仕方や形容の仕方は、
その時々で変わっているのかも知れません。
でも、お酒はとても素直ですから、
私の想いはお酒そのものを通じて
キチンと伝わっていくのかなって感じます。
小難しく考えずに、私自身がお酒に対して
素直にリラックスして向き合うことが、
ぶれずに突き進む第一歩なのでしょう。
近所の方が被災地へボランティアで行っています。
可搬ポンプや自作のお風呂や水やガソリンや
車に山ほど積んで、今回で二回目。
支援物資を運ぶというより、
現地で被災した家屋を洗ったり
瓦礫を撤去したり、お風呂を提供したり、
そんな支援をしに行かれています。
まだまだ物資が潤沢に行き渡っていなく、
お風呂にもなかなか入れていない、
そんな避難所もたくさんあるそうです。
前回はウチから水を持って行かれましたが、
今回は水とお酒を持って行って下さいました。
昨日、現地から連絡を受けました。
被災者の方と木曽路を飲んでいる!と。
南三陸町歌津、三浦さんという民宿を営んでいる方と。
少し高台にあったから、建物は無事で、
被災者を受け入れて生活しているのだそうです。
そこの奥様が、ウチのお酒が美味しいって、
ホントに感謝していますって、
電話口で元気に話してくださるんです。
ここは海の幸が豊富で、本当にいい町で、
だからこそ私たちは絶対に復興しますから、
そしたら絶対に来て下さい!って。
私たちが復興した姿を見に来て下さい!!って。
辛いとか、そんなネガティブな単語、
ひとつも出てこないんです。
今までに、見知らぬ方から
あんなにも力強い言葉を頂いた事があったでしょうか。
胸にずきーんと突き刺さる、気迫さえも感じました。
だけれど、すっごく明るい声なんです!
愕然とするほどの被害だったはずなのに、
今は皆が復興と言うひとつの目標に向かって進んで行っていて、
その大きな力がひとりひとりから伝わってくる様な。
一日でも早く、復興した南三陸町へ行ってみたいと思いました!
それまでがんばろう!!
私も自分の事を一生懸命がんばろう!!
想いはチカラになるんだ!!
今年度、新たに地元の農家さんにお願いして、
酒米の【白樺錦】を作っていただくことになりました。
寒冷地での栽培に適した酒造好適米で、
栽培適性としては、標高850m程度までなのです。
ここ木祖村の田んぼは1,000mを越えるところもあり、
気候も決して温暖とは言えない条件下ではありますが、
何とか地元で酒米の栽培ができないか色々考えていたのです。
いよいよ今季、3名の農家さんが新たに手を上げてくださり、
全部で50a近い作付けが叶うことになりました。
これまで、【ヨネシロ】と言ううるち米は地元で栽培していただき、
【燦水木】と言うお酒を造っていたのですが、
これからは地元産酒米にも挑戦!と言ったところです。
日照の関係や、土地が痩せていることもあり、
水稲農家さんはそれ程いらっしゃらず、
田んぼの数もそれ程多い村ではありません。
そんな状況にもかかわらず、休耕田が目に付くように。
「後継者がいなくて続けられない。」と言う方もいらっしゃれば、
「作りたくてもお米も高く売れないし、割に合わない。」と言う方も。
でも、田んぼって休耕してしまうと復活も難しくなってくるし、
今回の3名の農家さんは皆さん70代の方ばかりではありますが、
『新しいことに挑戦したくてのぉ!』なんて、
白樺錦の栽培に手を挙げてくださったのです。
ここ最近各農家さんをお訪ねすることが多かったのですが、
皆さん、生き生きしているんですよね。
農業ってすっごく大変なことなんだと思うのですが、
『お米が作れて嬉しい!』って言ってくださったのです。
元々ヨネシロを栽培してくださっていた農家さんが4名。
新たにヨネシロを栽培してくださる農家さんが1名。
そして、白樺錦を栽培してくださる農家さんが3名。
この人数を徐々に増やしていければいいな。
若い方が帰ってきて、湯川酒造のお米を作って下さればいいな。
そんなことも考えてみたりもしています。
種籾から発芽して、育苗、田植え・・・。
春、生命溢れる季節になりますね。
みんなでがんばろう!!!
長らくご無沙汰いたしておりました。
『酒造り開始』の記事を書いてから、早半年近く。
今季も無事に甑倒しを迎え、残り2本の醪を管理するのみに。
開始早々、とにかく忙しい毎日で、
結局のところ5ヶ月近くは休み無しの生活でした。
多分にもれず、うちの蔵でも夏の気候の影響で、
米の扱いが非常に難しく、これまでにはない状態に何度も直面し、
本当に経験値のあがった半年間だったと思います。
感じたことや想う事は、
またこれからゆっくり記事にしていきたいと思います。
さて、東日本大震災発生より、3週間が経ちました。
多くの方が犠牲になり、被災された方も先の見えない生活に、
不安を多く抱えていらっしゃることと思います。
犠牲者の皆さまには心よりご冥福を祈り、
被災者の皆さまには一日も早い復興を心より願うばかりです。
震災翌日、うちの蔵では普通に仕込が行われました。
『何で今???』と自問自答しながら…。
ここも少しは揺れたけれど、被害に遭うほどでもなく。
なのに、長野県であるゆえ多くの方からお見舞いのお電話を頂戴し、
無事であるからこそ、本当に心苦しい想いでした。
罪悪感すら感じるほどで…。
ですが、甚大な被害があったからこそ、
無事である私たちが普通の生活をし、普通に商売をし、
経済の活性化に微力ながらも協力していかねば、
日本経済自体が沈没してしまいかねない状況なのですね。
以前までであれば、
うちなんぞの小さな会社がいくら頑張ったところで、
日本経済に貢献できるなんて思えもしなかったのに、
今回の震災によって、こんな小さな会社でさえも、
しっかりと運営していく必要性を感じています。
それは、会社だけではなく自分自身でもそうです。
社会の一員として、自分の行動が意味を為しているのですね。
半年1年のスパンではなく、5年10年15年のスパンで、
何ができるのか、何をすべきなのかを考えながら、
しっかりと地に足のついた生活をしていきたいと思います。
私自身、震災だけではなく色んなことに直面し、
自分のキャパシティでは抱えきれなくなっており、
そうは言っても乗り越えなくてはならない責任があるのだけれど、
その責任を全うできる自信が自分には微塵もない現状です。
今までは、「なんとかなるさ!」で乗り越えられてきていたことが、
きっとこれから乗り越えるべき壁は、
そんな簡単な気持ちではすぐに振り落とされてしまうのでしょう。
ですが、【直感】を常に大切にし、
一歩一歩進んで行きたいと思います。
また、ブログの更新も少しずつ復活していきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。