曜日間違えた!
2011.05.26 19:22|naoko@kisoji|
前回の記事で、
長野の酒メッセin東京の開催日の曜日が間違えていました。
申し訳ございません。
正しくは...
2011年7月6日水曜日
お間違いなきよう、お願い申し上げます。
さてさて、先週~今週はちょっとばかり外出が多かったです。
先週は、毎年恒例の若葉会の研修旅行で大阪へ。
今週は、全国新酒鑑評会の公開で広島へ。
大阪では『片野桜』さんと、
『秋鹿』さんの蔵見学をさせていただきました。
どちらの蔵も、学ぶべきことが多くありましたが、
特に『秋鹿』さんは、ウチの蔵より少し規模が大きいですが同程度。
大阪でありながら、大阪のチベットと言われるような土地柄で、
気候条件が意外と長野県に近いものがあったようです。
米作りから酒造りへの一貫した取組みには、素晴らしさを感じ、
ウチの蔵の取組みなんぞ、まだまだ本当に遅れているけれど、
いずれはこの木曽の地でも米作りから酒造りまで一貫して
取組んでいけたら…と、夢が広がりました。
また、蔵を案内してくださった専務さん曰く、
季節雇用の杜氏さん方に頼らず、
米作り~酒造りを蔵元が行っていける
体制作りをしているとのこと。
杜氏制度には様々な意見があるとは思いますが、
私もいずれは蔵元杜氏として木曽路と十五代九郎右衛門を
後世に繋げて生きたいと考えているわけで、
お話をお聞きしていて、共感する部分が多々ありました。
杜氏制度が悪いわけではないし、従業員杜氏も
信頼を於けるパートナーに巡り逢っているのであれば、
とても素晴らしいこと。
だけれども、杜氏や従業員杜氏と、
蔵元との酒質に対する想いに乖離がある場合、
どれだけいいお酒を醸していたとしても、
くすんでしまう気がしています。
であれば、杜氏とのコミュニケーションをもっと密にすべきで、
私も一生懸命コミュニケーションを取ってはいます。
ただ、実際に自分の手で酒造りを出来る立場としては、
やはり自分の蔵のお酒を、自分のこの手で醸して、
そのお酒に宿る自分の想いが、
お酒とともにお客様に伝わっていくのであれば、
こんなにも幸せなことはないと思います。
そして、家業を継ぐ立場としては、
会社やブランドだけでなくその技術も含めて、
自分の手で後世に繋げていくべきなんだと感じます。
蔵に戻ることを考え始めたとき、
まず不思議だったのが、杜氏制度に関してなのです。
経営と技術が別部門で成り立ってきていたからこそ、
今の日本酒業界があるとは思うのですが、
自社を遠くから見たときに、あまりに技術的側面を
杜氏たちにゆだねすぎており、経営者側が理解していない。
逆を言えば、経営者の考えが技術者に伝わりきらないから、
木曽路というブランドは湯川酒造店に付随しているけれど、
そのお酒そのものは杜氏に付随していて、
経営者はブランドを継承していこうとしているのに、
杜氏が代わってしまえば、その技術は湯川酒造店として
全く継承することができなくなってしまう。
伝統産業を継ぐ気持ちで覚悟を決めつつあった時に、
技術を継承できないのであれば、
覚悟を決めて蔵に戻る意味がないと、
直感的に感じ取ったのだと思います。
だからこそ蔵に戻る第一条件が『酒造りをすること』だったのです。
まぁ、そんなこんなで、今に至っており、
酒造りをできることに、とても幸せを感じ、
まだまだ経験も浅すぎるけれど、もっと技術的に向上して、
木曽路と十五代九郎右衛門のお酒を広めて行きたいと思います。
何だか、話がずれつつ長くなってしまいましたが、ではこの辺で。
長野の酒メッセin東京の開催日の曜日が間違えていました。
申し訳ございません。
正しくは...
2011年7月6日水曜日
お間違いなきよう、お願い申し上げます。
さてさて、先週~今週はちょっとばかり外出が多かったです。
先週は、毎年恒例の若葉会の研修旅行で大阪へ。
今週は、全国新酒鑑評会の公開で広島へ。
大阪では『片野桜』さんと、
『秋鹿』さんの蔵見学をさせていただきました。
どちらの蔵も、学ぶべきことが多くありましたが、
特に『秋鹿』さんは、ウチの蔵より少し規模が大きいですが同程度。
大阪でありながら、大阪のチベットと言われるような土地柄で、
気候条件が意外と長野県に近いものがあったようです。
米作りから酒造りへの一貫した取組みには、素晴らしさを感じ、
ウチの蔵の取組みなんぞ、まだまだ本当に遅れているけれど、
いずれはこの木曽の地でも米作りから酒造りまで一貫して
取組んでいけたら…と、夢が広がりました。
また、蔵を案内してくださった専務さん曰く、
季節雇用の杜氏さん方に頼らず、
米作り~酒造りを蔵元が行っていける
体制作りをしているとのこと。
杜氏制度には様々な意見があるとは思いますが、
私もいずれは蔵元杜氏として木曽路と十五代九郎右衛門を
後世に繋げて生きたいと考えているわけで、
お話をお聞きしていて、共感する部分が多々ありました。
杜氏制度が悪いわけではないし、従業員杜氏も
信頼を於けるパートナーに巡り逢っているのであれば、
とても素晴らしいこと。
だけれども、杜氏や従業員杜氏と、
蔵元との酒質に対する想いに乖離がある場合、
どれだけいいお酒を醸していたとしても、
くすんでしまう気がしています。
であれば、杜氏とのコミュニケーションをもっと密にすべきで、
私も一生懸命コミュニケーションを取ってはいます。
ただ、実際に自分の手で酒造りを出来る立場としては、
やはり自分の蔵のお酒を、自分のこの手で醸して、
そのお酒に宿る自分の想いが、
お酒とともにお客様に伝わっていくのであれば、
こんなにも幸せなことはないと思います。
そして、家業を継ぐ立場としては、
会社やブランドだけでなくその技術も含めて、
自分の手で後世に繋げていくべきなんだと感じます。
蔵に戻ることを考え始めたとき、
まず不思議だったのが、杜氏制度に関してなのです。
経営と技術が別部門で成り立ってきていたからこそ、
今の日本酒業界があるとは思うのですが、
自社を遠くから見たときに、あまりに技術的側面を
杜氏たちにゆだねすぎており、経営者側が理解していない。
逆を言えば、経営者の考えが技術者に伝わりきらないから、
木曽路というブランドは湯川酒造店に付随しているけれど、
そのお酒そのものは杜氏に付随していて、
経営者はブランドを継承していこうとしているのに、
杜氏が代わってしまえば、その技術は湯川酒造店として
全く継承することができなくなってしまう。
伝統産業を継ぐ気持ちで覚悟を決めつつあった時に、
技術を継承できないのであれば、
覚悟を決めて蔵に戻る意味がないと、
直感的に感じ取ったのだと思います。
だからこそ蔵に戻る第一条件が『酒造りをすること』だったのです。
まぁ、そんなこんなで、今に至っており、
酒造りをできることに、とても幸せを感じ、
まだまだ経験も浅すぎるけれど、もっと技術的に向上して、
木曽路と十五代九郎右衛門のお酒を広めて行きたいと思います。
何だか、話がずれつつ長くなってしまいましたが、ではこの辺で。