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嬉しくなって、追記

2011.07.31 12:33|naoko@kisoji
17BYに蔵に帰って酒造りを始めてから、
22BYで6季が終わりました。
このblogでも度々書いたかもしれませんが、
ウチの酒蔵のいいところ、悪いところ。

私の場合、まずはウチの酒造りとはどんなものぞ…との想いで、
ほとんど口を出すことなく、2季は過ごしたように思います。

しかし、ベースにはとてもよい酒質を持ちえながら、
酒造りの基本たる部分が欠如していたり、
長年の繰り返しによりなぁなぁになって
手抜きになってしまっていたり、
そもそも、『私はこんな酒が造りたい!』と言う想いの前に、
『ウチの酒造り、改善点だらけじゃん。』と言う想いが強く、
まずは、そこをひとつひとつクリアしていったうえで、
ウチの酒造りには何が必要なのかを取捨選択するっていうのが、
私の酒造りに対するアプローチの方法だったのです。

今、今年のタンクのお酒を利いてきて、
酒質が格段に上がっていることに、嬉しくなっちゃいました。

もちろん、しぼった段階では沢山の課題が残ったことは間違いなく、
まだまだ自分が納得できる酒には程遠い部分も多いのですが、
ひとつの課題をクリアできたんじゃないかなって、
各論的に酒をみてみると、『あ、成果でちゃってるかも~!!!』
なんて嬉しくなっちゃったりしちゃいました。

何って、ここ2年ほどタンク貯蔵のお酒に嫌な老ねが出ないこと。
今日利いたお酒にも、綺麗な熟成をしていて、心地よくって。

帰って来た頃のお酒は、みんな老ねちゃって、
熟成させて出荷するタイプのお酒なのに、
熟成によって酒質ダウンしちゃってて。

やっぱり、熟成させて出荷する為には、
熟成した後の状態を見据えて
ちゃんと酒造りしなくちゃならないんですよね。

お酒の評価って、しぼった直後じゃ出来ないんです。
こうした貯蔵熟成が酒造りの50%は占めているんですから、
なかなか奥深い世界ですよね。

最近、いろいろあったせいで、
自分のお酒と向き合えていなかったから、
やっぱりちゃんとお酒と向き合って過ごさなくちゃなって、
改めて思うのでした。


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初呑み切り

2011.07.31 11:02|naoko@kisoji
8月2日は木曽酒造協会の初呑み切り持ち寄り研究会。

木曽は他の地域よりも若干遅い目なのですが、
タンクで貯蔵したお酒の熟度や状態のチェックをする為に、
全てのタンクの呑み切り(サンプリング)をしていきます。

昨日は、一日かけて全部のタンクの呑み切りをしました。
会社は休日だったので、久々の蔵仕事、静かにできてよかった。

この時期の呑み切りは、微生物汚染の危険性も高いので、
一回一回器具の消毒をしたり、かなり気を遣います。

今日はこの後、呑み切りした酒の利き酒してきます。
タンクでの貯蔵は冷蔵庫での貯蔵と違って、
なかなか貯蔵環境のコントロールが難しいところがあります。

今年の夏はどこへ行ってしまったのか…と言うほど、
気温が上がらず、過ごし易い気候が続いていますので、
幸いにして蔵内の温度も例年より低い目に。

当然、タンクの中のお酒も例年より若干ではありますが低い目です。

タンクの場所や冷却板の巻き方によっても、条件は異なりますし、
同じ様に冷却板を巻いていても、酒への影響もマチマチだったり。

本当は、タンクごと冷蔵庫に入れちゃえば良いのかもですが、
なかなかそうもいかないですからね。
しかも、自然の温度変化が与えられる方が、
酒質によっては良かったりもするんですよね、きっと。

ある程度は予測のもと、貯蔵タンクを選んだりもしていますので、
貯蔵環境に関しては想定できている中でのものも多いですが、
その年の出来具合によっても当然熟成感は異なってきますので、
やはり夏場に呑み切りをして酒質をチェックするのは、
非常に大切なことなんです。

2日は木曽5蔵のお酒を全て利くことができるんですね。
各蔵のお酒がどんな表情を醸しだしているか、楽しみです。


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蔵の中の仕事はやっぱり好きだな!
酒蔵の中の独特な雰囲気がたまりません。

所信表明

2011.07.29 20:18|naoko@kisoji
2011年7月1日、
(株)湯川酒造店の代表取締役に就任いたしました。
まだまだ経験も浅く、未熟者ではございますが、
何卒ご指導のほど、よろしくお願いいたします。

さて、そんな書き出しで、
7月1日に記事を書こうと思っていたのですが、
なかなか筆が進まなかったのが事実。

ご存知の方もいらっしゃることと思いますが、
去る7月14日、私の父であり前社長が逝去いたしました。

癌が発見されたから13ヶ月と、非常に早い病気の進行でした。
5月からは再入院をし、
結果的には自らの足で帰宅することができなく、
非常に無念であります。私も家族も、そして父本人も。

いつかそんな時が来るというのは、うすうす感づいており、
私自身の覚悟はかなりされていたように思います。

社長不在の会社をなんとか回していく為には、
母と私の二人で頑張るしかなかったのですが、
母は父の看病で病院通いをしていましたし、
私は父を母に任せて、必要最低限のお見舞いに留め、
極力会社の仕事をこなすように、心掛けていたのです。

事実、母と私二人ともで気落ちをしてしまえば、
回すべき会社の業務も滞る可能性もあり、
やはりそのスタンスを取ったことは、
正解でもなければ、間違いでもなかったとは思います。

ただ、私個人としては、父の病気から完全に逃げており、
お見舞いに行かなければ病状の進行を目の当たりにすることもなく、
余命宣告された父の辛さを目の当たりにすることもなく、
精神的にはいかに楽をしていたか、今になって深く刺さります。

その間、母は全てを受け止め、目の当たりにし、
ひとりで覚悟を決めていたことでしょう。
何もフォローしてあげられなかった、親不孝娘です。

代表交代も、
7月のこのタイミングで行うことが果たしてよかったのか、
万が一が起こった後から考えれば良かったのではないか、
何度も何度も自問しましたが、クリアにはならぬまま、
その万が一がやってきてしまいました。

もちろん、生前にしっかり話をしたことではありますが、
代表就任後、たったの14日目に父が他界するとは思いもよらず、
とてつもなく複雑な心持ちです。


父は生前木祖村の商工会長を務めており、
県酒造組合も理事を務めておりました。
様々なところで役を頂いており、人脈も多かった為、
木祖村の寺院では前例があまりない葬儀の規模となりました。

小学校時代からの同級生や、商工会の仲間、
プライベートでお世話になっていた仲間、
本当に多くの方々の手助けにより、
父の葬儀も無事執り行うことができました。

感謝してもしきれぬ程のご厚情を頂き、
父が本当に多くの方にお世話になったこと、
それは全て父の人柄によるものだったのだと、感じます。

本当に、ありがとうございました。


代表交代についても、父の寿命を覚悟していたものの、
そんなに早くやってくるとは思わず、
入院してはいたものの、生きてさえいれば何でも聞けたものが、
死んでしまえば何ひとつ聞くことができなくなってしまい、
途方に暮れるような想いです。

もちろん、かねてより社長になったらこんなことをやるんだ!
なんて、野望みたいな想いもたくさん抱いてはいますので、
途方に暮れるばかりではなく、自分の手で動かせることへの、
果てしない魅力や希望に溢れ、わくわくしてたまりません。

でも、履き違えてはいけないことは、
父と母が築き上げてきたこの会社を引継ぐのだと言うことです。

父と母にとっては大きな城であったこの会社でも、
私にとってはまだまだ石垣の状態です。
この立派な石垣を作ってくれた父と母の想いを裏切ることなく、
その上に立派な城を私が築き上げていかねばならないのです。

石垣まで取っ払って、新しい何かを構築するのでは、
引き継ぐことにはならないのだと思います。
ただ、城の形は私なりに築いていけば良いのだと思っています。

容易なことではないとは、重々承知をしています。

父と母も大きな苦労を重ねてここまで来たのですが、
私のこれからは、また違った形での苦労が沢山あると思います。

若さゆえ、失敗も多くあるとは思いますが、
全ての経験を成功へ導けるよう、
しっかりと商売をしていきたいのです。

葬儀を終え、できるだけ日常を心掛けて生活をしています。
入っていた予定は極力予定通り。
代表交代に関する諸手続き、父の死亡に伴う諸手続き、
葬儀の後処理、今後は相続の問題。
脳みそパンパンになる程にやらねばならない事が山積です。

会社の日常業務や営業活動、
年中行事もしっかりこなさなくてはなりません。
23BYの酒造計画を立てなくてはならない時期にもなっています。
まだまだ不慣れすぎる社長業もこなさなくてはなりません。

でも、きっと私ならできる!そう暗示を掛けています。
でないと、すぐにでもフリーズしてしまいそうなのです。

社会人になった時に、「卒業」がないことへの恐怖心を感じたと、
以前に書いたことがあったと思うのですが、
社会人という括り以上に、会社代表には卒業がないんですよね。

これに対する恐怖心は、やはり変わらぬまま感じます。
何をもって卒業とするのか、次の代へ引き渡すまでなのか、
それが何時なのか、先が見えなすぎる道へ踏み込んだ感じです。

幸い、今年の5月に超電撃的ではありましたが私の結婚が決まり、
父にも生前に報告をすることができました。

これに関しましては、また改めてご報告いたしますが、
力強い伴侶が現れたことで、先の長い長いこれからも、
一筋の光は見えているような気がしています。

彼にも、本当に感謝をしなくてはなりません。

ただ、辛うじて世代交代が重なり合うことができたものの、
紹介した時には父はすでに入院をしていたので、
ともに酒を酌み交わすこともできず、
世代交代とはこれほどまでにあっけないものなのかと、
少々寂しくもあります。

当然、会社の雰囲気もガラリと変わることになります。

『故きを温ねて新しきを知らば、 以て師と為すべし』

父と母が踏みしめてきた時間をしっかりと守り、
私たち二人の会社として新しく踏み出していきたいと思います。


何か、2011年は激動の1年となりました。
いや、まだまだ残っていますが記憶に残る1年です。

こんなにも、色んな出来事と感情を同時に味わうことなど、
今後の人生でどれ程あるのか…と考えてしまうほどです。

自分らしさを出しながら、社長然とはどの様なものなのか、
しっかりと考えながら一歩一歩踏みしめていく所存です。

長々と書き連ねてしまいました。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。


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