「日本遺産」って文化庁の認定制度ですが、
正直、全国的のもまだまだ浸透していないのではないでしょうか。
地域の歴史的魅力が文化・歴史を伝えるストーリーとして認定され、
その有形・無形の文化財を整備・発信することで地域の活性化を図る
とされていて、28年度までに、全国で37のストーリーが認定されています。
要するに、これまで点として独立して保存発信されてきた
国宝・重要文化財・史跡・名勝・無形有形文化財などが
その地域のアイデンティティを示すストーリーとしてパッケージ化され
面として捉えることでより魅力的な地域ブランド作りを促進する
と言った仕組みのようです。
「木曽路はすべて山の中〜山を守り、山に生きる〜」と言うのが木曽地域のストーリー。
戦国時代が終わり森林資源に支えられていた木曽の地域経済ですが、
乱伐により江戸初期には森林資源が枯渇。
それにより尾張藩は禁伐をして森林を保護したため、
人々は新たな地場産業として木曽漆器やお六櫛などの伝統工芸に活路を見いだした。
江戸後期には街道整備も進み、流通経済の発展とともに
木曽の宿場文化や伝統工芸品が全国へ広まっていった。
といったところが要約。
う〜ん、なかなか難しい。
2020年のオリンピックに向けての観光の受け皿として、
各地の魅力をストーリー化しておこうってな話もありましたが、
ただ、「観光」と言うことに主眼を置くだけでは、
地域経済の発展に根本的には繋がらないし、
地域に生活をする人々がいかに豊かに活力をもって過ごせるかが、
とても大切なことだと私は感じます。
そこには企業として雇用維持や地域経済への貢献、
活力を維持し続ける企業力がとても重要な立ち位置になります。
また食文化や日常の食生活、観光客への食の提供など、
食の充実は地域の活性に必ず繋がるとも感じています。
さらに、それらを自社が担えるのであれば、
それほど素晴らしいことはないと考えています。
じゃぁ、この日本遺産をどう活かして行くの?
ってのが、今日のシンポジウムのテーマだったのですが、
私がすぐに出来ることは、清酒木曽路というアイテムに、
木曽地域の文化的背景・気候風土などを背景としてしっかりと表現し、
清酒木曽路を通じて全国各地、世界各国の人々に、
木曽を知って頂ける様に伝えて行くことです。
そのためには、もっともっと木曽のことを知らなくてはならず、
木曽で育まれた酒造業の歴史も知らなくてはなりません。
正直、「歴史」と言うことに子どものころから全くと言っていいほど興味がなく、
今も「知りたい」気持ちはあれど、「知る」ことに対するハードルは
とっても高い状態が続いていますね。
ただ、私は湯川酒造店の16代目。
自分の役割は?と問いかけたとき、
1650年から酒造業を営んでいると言うことは、
木曽の街道の歴史とともに過ごして来たわけです。
酒蔵は地域経済を回す意味でも一定の役割を果たしていたと思いますし、
木曽は米の獲れない土地ですから、
ではなぜその木曽の地で酒造業が発展してきたのかなど、
疑問や木曽ならではの意味もたくさん存在しています。
それらが木曽の地域経済と連動していたことは間違いなく、
大変興味深いことなのです。
社会人になってからの私自身のポリシーのひとつとして、
「生産活動をすべきである」と言うことがあります。
社会人たる物、しっかり稼ぎ、自分や家族の生活を支えること、
そして地域経済を回して行くべきである。と。
毎日毎日忙しくてもしっかり働き、
そこから生産された日本酒がお客様の手に届き、
喜びを作り上げられるのであれば、
自分の時間はすべて仕事に捧げられてもおかしくない
くらい、極端には考えています。
余裕がないくらいが普通になってしまい、
では歴史を振り返る、気候風土を感じ取る、
書籍を読みあさる、実際に訪ねてみる、
などなど、すぐに売上げや利益に繋がらない活動は、
どうしても後回しになってしまうのです。
しかし、歴史や気候風土を時系列的に知ること、
自社がどのような立ち位置であったかを多角的な視点で知ること、
それらは、すぐに売上げ云々ではないことですが、
しっかりと時間をかけて学ぶべきことだなと、
最近つくづく思うのです。
16代目の役目。
今まで正直16代目だろうが3代目だろうが関係ないと、
たまたま私が湯川に生を受け、今に至っているだけと考えていました。
少しずつ、木曽について考える機会を頂き、
木曽の歴史、湯川の歴史、日本酒文化の歴史などに、
興味が湧いて来ています。
私自身が死ぬまでに、何か残すことをすべきなんでしょう。
酒蔵と言う視点から、木曽と向き合い未来へつなげる作業。
そんなことを少しずつやって行けたら、
16代目として今ここに私が存在する意義みたいなものを
少しは示せるのかな〜なんて思います。
本日のシンポジウム、
基調講演でも素晴らしいお話が聞けました。
パネディスカッションでは相変わらず言いたいことの
10%も話せなかった気がしていますが、
私自身にとっては様々な勉強の機会を頂くことが出来、
お声かけ頂いてとても感謝しております。
というわけで長文になってしまいましたので、
シンポジウムのまとめはまた後日とします。