30秒で終わる神事
2017.09.15 21:05|naoko@kisoji|
【30秒で終わる神事】

我が家がある地区の最小単位(隣組)が、
その名も「九区の一の二」
人口3,000人を切った村が、
19もの区に分かれていて、
各区ごとに更に細分化されているのが隣組です。
たぶん、隣組それぞれの軒数としては、
4-5軒の組から20軒程度の組まであると思います。
我が隣組では、
亡くなられたり、
娘息子のもとへ引っ越してしまったりで、
次第に軒数と人数が減ってしまいます。
今日は、我が「九区の一の二」でお守りしている
愛宕さま(火の神様)の年に二回の神事の1日。
昔は、藪原から見る西山の中腹に祠があって、
祠まで出向いて神事を行っていました。
(その祠は、小学生の時、授業をボイコットして山に逃げて見つけた、私たちの秘密基地でもあります。)
今は皆が高齢になって守り切れず、
祠も取り壊され、
地区の公民館的な場所で、神事を行います。
とは言え、二礼二拍手一礼でお参りするだけ。
神事なんて、ホントに30秒で終わります。
あとは、隣組の皆でワイワイガヤガヤ
お酒を飲んで楽しむだけです。
ここ薮原の街って、
私の小さい頃の記憶では
商店街がすごく栄えていて、
何でも揃う街で活気がありました。
「あの頃はあそこの店で何を買った」
「子どもが何人も集まってどこそこで悪さした」
「線路はどこを通っていて、踏切はここだった」
「床屋と美容院が10軒近くあった」
「祈祷師がマッサージ屋してた」
「どこそこのばぁちゃんは怖かった」
「SLは昭和45年頃まで走っていて、飛び乗った」
なんて話が出るわでるわ。
確かに、私が幼少の頃過ごした薮原の街は、
商店が多くてとても活気がありました。
何でも揃う街でした。
家から1分の場所で、
夏になると軒先の木箱に並べられた
バラ売りの花火がたくさん売られていて、
父の釣りの餌になるミミズを買いに行くと、
必ずお駄賃で花火をくれたものです。
近所で一番好きだったお店。
懐かしい話をしていると、
子どもが多くて、商店が元気で、
村そのものに活気があった、
そんな昭和の光景が
すぐ目の前に広がります。
もう、昭和の活気がそのまま戻っては
こないだろうと思うけれど、
これから先の未来に、
子どもたちが懐かしめて、
想い出をたくさん残せる、
そんな街でありつづけたいなと、
つくづく感じた夜でした。

我が家がある地区の最小単位(隣組)が、
その名も「九区の一の二」
人口3,000人を切った村が、
19もの区に分かれていて、
各区ごとに更に細分化されているのが隣組です。
たぶん、隣組それぞれの軒数としては、
4-5軒の組から20軒程度の組まであると思います。
我が隣組では、
亡くなられたり、
娘息子のもとへ引っ越してしまったりで、
次第に軒数と人数が減ってしまいます。
今日は、我が「九区の一の二」でお守りしている
愛宕さま(火の神様)の年に二回の神事の1日。
昔は、藪原から見る西山の中腹に祠があって、
祠まで出向いて神事を行っていました。
(その祠は、小学生の時、授業をボイコットして山に逃げて見つけた、私たちの秘密基地でもあります。)
今は皆が高齢になって守り切れず、
祠も取り壊され、
地区の公民館的な場所で、神事を行います。
とは言え、二礼二拍手一礼でお参りするだけ。
神事なんて、ホントに30秒で終わります。
あとは、隣組の皆でワイワイガヤガヤ
お酒を飲んで楽しむだけです。
ここ薮原の街って、
私の小さい頃の記憶では
商店街がすごく栄えていて、
何でも揃う街で活気がありました。
「あの頃はあそこの店で何を買った」
「子どもが何人も集まってどこそこで悪さした」
「線路はどこを通っていて、踏切はここだった」
「床屋と美容院が10軒近くあった」
「祈祷師がマッサージ屋してた」
「どこそこのばぁちゃんは怖かった」
「SLは昭和45年頃まで走っていて、飛び乗った」
なんて話が出るわでるわ。
確かに、私が幼少の頃過ごした薮原の街は、
商店が多くてとても活気がありました。
何でも揃う街でした。
家から1分の場所で、
夏になると軒先の木箱に並べられた
バラ売りの花火がたくさん売られていて、
父の釣りの餌になるミミズを買いに行くと、
必ずお駄賃で花火をくれたものです。
近所で一番好きだったお店。
懐かしい話をしていると、
子どもが多くて、商店が元気で、
村そのものに活気があった、
そんな昭和の光景が
すぐ目の前に広がります。
もう、昭和の活気がそのまま戻っては
こないだろうと思うけれど、
これから先の未来に、
子どもたちが懐かしめて、
想い出をたくさん残せる、
そんな街でありつづけたいなと、
つくづく感じた夜でした。
