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技術者と経営者の最終分岐はあの時だった。

2023.02.22 20:19|naoko@kisoji
酒類総合研究所の清酒上級コースの募集が開始となりました。

実は私は2011年の夏に受講が決まっていましたが、
当時父の体調が思わしくなく、またそれに伴って
その年の7月に社長になることが決まっていたので、
泣く泣くキャンセルをしたのです。

受講が決まってからのキャンセルは初めてだと、
担当の方に言われた記憶があります。

まだ社長になりながらも杜氏として結果を残したいと
躍起になっていた時でしたから、
色々迷いながらも受講を決めたにも関わらず
結果的にキャンセルをしたことに対して、
自分の選択の誤りを許せなかったし、
それ以上に技術者としての自分に憧れもあり、
「杜氏になりたい」という夢もあり、
そもそも自分自身の手でいい酒を醸したいという想いもあり、
その憧れや夢や想いに深く踏み込みたいと思ってのことだったので、
父の体調云々関係なく受講できなかったことは
悔しくて悔しくて仕方なかったのを思い出します。

講習に出ていたとしたら5月下旬から6月下旬までの1ヶ月程度、
広島に行くことになっていましたし、
結果として父はその年の7月14日に他界しましたから、
受講していたらそれはそれで後悔していた可能性もあります。

全ては今思えば…って話ですが、
振り返ると、
その時が技術者の道か経営者の道かの最終分岐だったのだと思います。

あの時受講を強行していても、
今社長である立場は変わっていないかもしれませんが、
酒造りの現場を離れる決断もつかずにずるずる中途半端になっていたか、
夫が社長になっていたか、はたまた結婚すらしていなかったか。

2011年、
とてつもなく大きく人生が動いた年だったと感じます。
あれほど考え悩み選択して、
前に前に進んだ年は後にも先にもない気がします。

小さな選択の積み重ねこそが、大きな選択につながる。
毎日毎日何かを選択して生きているのだから、
大小関わらず、自分自身の中でその選択を間違わない様に、
自らをキチンと見つめていたいと思うのです。

今の私は、あの時その時の選択の積み重ねであり結果ですからね。
全ては間違いではなく自分自身の糧になっていると言うことです。

で、私自身の適性を冷静に見ると、
技術者か経営者かと言えば、
もともと持つ考え方とか、そういったことが、
間違いなく経営者に向いていると実感します。

技術者としての自分の立場が今あったとしても、
おそらく様々なことが成立していない。

ましてや、二束のわらじなど、私には履けなかったし、
履いていなくて本当に良かった。

杜氏としても経営者としても信頼できる夫がいて、
いつもついてきてくれる信頼できる社員がいて、
自分自身の考えを、自社に対する想いを、
社員の生活を守り抜く決意を、貫くことができているのだと思います。

2011年のような「激動」の年は、
この先訪れないかもしれない。
それは、多少なりとも私が大人になっているからかもしれない。

かといって、変化を恐れず、選択を恐れず、
常に進化していきたいと思うのです。

仕事≧子ども(家族)>自分

2023.02.09 01:45|naoko@kisoji
どうしたって、私の頭の中は、
仕事≧子ども(家族)>自分

仕事が成立しなければ、
子どもも自分も成立しないから。

これが変わる時は、
社長をリタイアするとき。

それまでは変わることはないと思う。

次男出産後、
生理周期と気分の浮き沈み、
体調との相関が強くなった。

自分でコントロールできないことも増えた。

信頼していた婦人科の先生が異動になり、
しばらく彷徨っていたのだけれど、
実は以前から知っていた先生の医療に
アクセスすることができ、
自分自身のバランスを保っていけそうな、
そんな見通しがたってきた。

振り返ると、
婦人科を受診している時だけが、
真のプライベートなんだと思う。

これは、先日その先生の外来を受診して、
色々話を聞いて頂いている中で、
あ、そういうことかと気づいたことで。

変な感覚かもしれないけれど、
自分の身体のことは、
家族であっても立ち入ることができない部分で、
まさに自分ひとりだけのことだから。

優先順位が低いからこそ、
頻繁でなくても定期的に、
信頼できる先生にフォローしていただけること、
これはとても重要なことなんだ。

木曽という田舎で、
こうして信頼できる医療にアクセスできることは、
本当に幸せなことだとつくづく思う。

ちなみに、子どもに対しても、
私という人格が主体であっていいと。
母が主体となることで、
子も主体的に感情表現できるようになると。

いつでもそうでいいとは思わないけれど。

子を思うつもりで子を主体にすることで、
実は母の感情を押し付けてしまうことになると。

これは私自身が子の立場で感じていた違和感を
咀嚼するには十分すぎる言葉だったので、
とてもとても腑に落ちた。

以前学んだ、
子の感情に寄り添うこと。
彼らがどう感じているか、共感すること。
これは第一に重要なことだと思うけれど、

母の感情を主体として伝えること、
言われてみて、よくよくわかった気がした。

つい、子を主体にして伝えてしまいがちだから。
そうすることでむしろ、
母の感情を押し付けてしまうんだ。

あなたが怪我するのがかわいそうだから、気を付けてね。
怪我するあなたを見る私が悲しいから、気を付けてね。
この違い。

誰かに感謝するときは、
ありがとうって言いなさい。
ではなく、私がありがとうを言えばいい。
子はちゃんと見ているから。

そんなことまで、話して聞かせて頂いた。
寄り添っていただけている安心感は
とてつもなく大きい。

自分がそうだから、
だからこそ子どもたちにも
ちゃんと寄り添っていこう。