16代目としての私がやるべきこと。
2019.06.17 17:01|naoko@kisoji|
そんなタイトルだと、とても大げさではありますが、

最近、私しか出来ない役割みたいなものが、
なんとなく見えてきています。
2020年に酒業370周年を迎えるに当たり、
主に湯川家の振り返りの機会を作ってきています。
村の歴史研究家の方(御年86歳)に、
色々お聞きしたりして、
湯川家が木祖村とどの様に関わってきたのか、
酒造りはどの様に続いてきたのか、
造られた酒はどうやって流通して、
どんな人が飲んできていたのか、
そんなことをインプットしてきています。
特に12代目、13代目は村作りに大きく貢献していたようで、
経済的、文化的資料もウチには多く残っています。
これまでも色んな話を断片的に聞いてきてはいましたが、
特に13代目は文化人(歌人)だったために、
多くの資料を日記として残しており、
また多くの方々との交流の記録が、
作品であったり手紙であったりと、残されています。
14代目、15代目は残念ながら早くに他界してしまい、
私が実際に伝聞として知り得たことは限られてしまいましたし、
彼らの手で何かが整理されて残されているかというと、
そこまでには至っていないのが現状です。
湯川家だけではなく、木祖村に点在する貴重な資料は、
歴史研究家の先生の手である程度保存はされているものの、
まだまだ不十分だということもお聞きしましたし、
貴重な資料が残されている家が空き家になっていたりもします。
ウチのすぐ近くに貴重な家が残されているので、
私に財力があれば、そこを取得して価値を残していきたいのですが、
そういうわけにもなかなかいきません。
ついでに、薮原の街並みの活性化に、
ウチの古民家とともに活用できるのではないかと、
勝手に考えを巡らせたりもしています。
もちろんそちらの持ち主の意向もありますが、
村の空き家バンクを通じて売りに出ていたこともあったので、
手遅れになってしまう前に、と勝手に焦っています。
経済的文化的資料の保存は、
やはりしっかり行わなくてはならないと思うので、
まずは、ウチにあるものを整理し直し、
適正に保存できる様にしなくてはなりません。
そして、文章なりで残していかなくてはなりません。
16代目の私の役割としては、
今わかっていること、そしてまだわかっていないこと、
情報が整理されていないことも含めて、
「残し、伝える」ことを考えていくことなのでしょう。
ハードルはとっても高いのだけれど、
歴史を振り帰り理解し伝えることは、
必ずや未来につながることだと感じます。

ちなみに、この賞状は昭和38年の関東信越国税局の品評会のもの。
湯川寛雄は13代目、私の曽祖父ですね。
この頃の銘柄は「菊水」。
これでは個性や地域性が出ないと、
14代目の祖父が「木曽路」の銘柄をつけてくれました。
古い賞状ですが、しばらく掛けておこうと思います。
